ハニーハニー

日記や思い出、好きなこと

モラトリアムの話

 

いわゆる就活というやつに、私もいよいよ取り掛かっている。

だけど、私はモラトリアムが長けりゃ長いほどいいと思っている人間だ。出来るだけ長く学生でいたい。出来ることなら。

それに、もっとたくさん学びたいことがある。

大学ってどんなとこなんだろう?と思うし、大学生の友人とか見て、私もあんなとこに行って好きなことを勉強したいとか、一丁前に思ってみたりもする。

 

数年前に、大学に行きたいと親に話したらめちゃくちゃ怖い声で「お前はなんのために今の学校に来たんだ」と言われた。

私が通っている学校は、学費がまあまあ安くて、手に職をつけれて、就職したら企業で即戦力っすよ!というところが売りである。故に、就職率が凄く良い。

そんな学校を自分で選んで受験して入学したわけなので、親としては今更「大学行きたい」とか言われたらそりゃキレたくもなるわ。

家がそこまで裕福じゃないこともなんとなくわかってたし、奨学金を貰って今の学校に行けてんだから、贅沢なんか言ってられないこともわかってた。

だけど、私はそんなことを言ってしまった。

だって、言っちゃえば、人生どうにかなると思ってたし。

でも、その時になってやっと、

人生、案外どうにもならんな、と知った。

 

だから去年くらいになって、いよいよ進路を真剣に考えねば、というときになって「どんな会社に就職しようかなあ」と親に言ったら、

今度はなんと「大学に行きたいなら行っていいんだよ」と言われた。

 

正直、無茶苦茶に腹が立った。

気を遣う言葉にしてはあまりに遅くて、

取り繕う言葉にしてはあまりに無理があった。

それなら、「お前を大学には行かせてやれないんだよ」とはっきり言って欲しかった。

「大学に行ってもいいよ」って言うけどさ、本当に私がそうするって言ったらどうするの?どこからそのお金を出すの?「やっぱり無理でした」とか言うんじゃないの?

 

就職するつもりだから大丈夫、と断って。

姉は大学院まで行く予定だから、そっちにお金をかけてほしい、と言っておいた。

 

お金が無いならどうして2人も子供を産んだんだろう。

どうしてこうなることを考えてくれなかったんだろう。

姉を産んだときに、もうやめておけばよかったのに。

 

産んでくれた親に対してこんなこと思うのは失礼だ。

でも、私を産んだことで生じた損失と利益はどちらがどれくらい大きいのだろう、どうしてもそう考えてしまう。

 

「青天の霹靂」を観た時もこんなことを考えてたっけ。

あとはあれだ、「少年は残酷な弓を射る」を読んだ時もそうだった。

 

人生の節々で、いつも同じことを考えている。

私を産まなけりゃよかったのに、と。

 

 

 

就活ですっかり自信をなくしたのか知らないが、近頃はこんなことばっかり考えている。

充分に幸せな人生を歩んでおいて、何をグダグダ言ってるんだ、と私を知ってる人ならきっとみんな思うだろう。

だけどそれは私の思う幸せじゃないのだ。周りからどう見えてるにせよ、私はいま大して幸せじゃない。

でも産まれてしまったからには、あとは生きるしかないんだろう、たぶん。

あわよくば、幸せになろうと思う。