スピッツのはなし
前回も書いたけど、私はスピッツが物凄く好きだ。
「物凄く」ってどれくらいかと言うと、もう半端なく好き。ヤバいほど好き。
そもそも音楽というのは嫌いではなかったはず。あんまり昔のことは覚えてない。
でもそれってまあ子供らしく、ジャニーズのアイドルの曲を聞いてかっこいい〜って思ったり、授業で習ったエーデルワイスが好きで風呂場で歌ったり、っていうレベル。
ロックとかよくわからんただの12歳をガツーンとぶっ壊したのがスピッツだった。
その頃、学校から帰ったら夕飯の時間まで姉の部屋にあるMD(もう死語かもしれないな?音楽を聴けるちっちゃいディスクです)を片っ端から聴く、というのが趣味だった。MDはとにかくいっぱいあったと思う。いきものがかりとか、YUIとか?
その中に、父のものもあった。
ある日それを聞いた。
スピッツの「さざなみCD」。
これが凄かった。
1曲目の「僕のギター」から大変なことになっている。どこまでも澄み渡った、それでいてなんて器の大きな音楽だろうと思った。不純なものが含まれていないから綺麗なんじゃなくて、不純なものはそれはそれでいいじゃない、どうにかなるわって全部を赦してくれる、という感じなのである。
ステレオの前に体操座りをし、心がグラグラ揺れる感覚を初めて経験しながら、最後まで聞き通した。涙がドバドバ溢れた。大惨事だった。
それからが人生の始まりだったと思う。
スピッツを聞くまでの12年間は何をしてたのかしらってくらい、スピッツの音楽は私に多くの知識と、深い思慮と、新たな感覚をくれた。
それ以降、さらにいろんな音楽に興味を持つことが出来たのもスピッツのおかげ。
そもそもベースってどの音だろう、ってくらい何にもわからなかった私は、リーダーのベースで初めてそれを認知し、めちゃくちゃ動き回る低音に感激して何度も何度も聞き直していたのだ。
2016年に発売されたアルバム「醒めない」の1曲目「醒めない」に、こういう歌詞がある。
最初ガーンとなったあのメモリーに
今も温められてる
初めてロックに触れて、ガーンとなって、
その記憶が今の自分をも温めてくれる。
「さざなみCD」を聞いたあの日の記憶が。
「醒めない」を買った日、12歳のあの日と同じあのステレオでアルバムを聞いた。
今の自分はとんでもなく幸せだと思った。
スピッツはこれからも私を温め続ける、きっと。