ハニーハニー

日記や思い出、好きなこと

Wonderful Christmas Time

 

今年はいつにも増してだらしなく無益な年末を過ごしている。

だいいち、クリスマスに1人で「シンドラーのリスト」を観るという行動をとったあたり、私はあんまりクリスマスを誰かと共に楽しもうという気が無いのだなと客観的に思う。

 

今年、24日のイブに父さんがケーキを買ってきたのには驚いた。

けれど、そのケーキを家族みんなで食べる前に父さんが癇癪を起こし、夕食がお通夜みたいな空気になったのには、あんまり驚かなかった。

いつもそうだ。幸せの一歩手前で必ず誰かが何かを壊してしまう。

 

私は幸せになりたいと思う。

だけどその幸せのイメージに家族の姿はない。

家族と幸せは上手く結びつかない。

それでも、私だって少しも期待していないわけではないのだと思う。

 

私達はいつも惜しいところまで来ているのに。あと少しなのに。

いっそとんでもなく不幸な家族ならば良かった。救いようもないほど壊れてしまえたら良かった。

いつも手が届きそうだから、私達は少しだけ期待してしまう。

きっと上手くいく、明日はみんな幸せだ、と。

Everything in its right place

 

情けないお話ですが、

私は両親が喧嘩をした次の日の朝、いつも学校に行くのが億劫になります。

 

夜中まで2人の言い合う声がして、私はイヤホンをつけ、Radioheadを聞きながらベッドに潜り、声が止むのを待つ。2人は私のいる場所では決して喧嘩しない。私のことを、ほんの幼い娘だと思ってるのかもしれない。

しばらくして静かになったら、イヤホンを外し、私も眠る。

その次の日は、いつも朝ボーッとして「今日は学校行かなくてもいっか」となんとなく思う。

で、なんとなく午前中サボったりする。

親には全く知られていないので問題ない、単位を落とさない程度に遅刻を繰り返す。

それ以外で授業をサボることはほぼ無い。私は割と真面目な学生なのだ。

ただ、数ヶ月に1回の 2人の喧嘩が絶えない時期はいつもそうなる。

家にいるより学校にいたほうが絶対に気が楽なはずなのに。

 

これが、今年20歳になる女の話なんだから恐ろしい。

お前、もうすぐ成人するんやぞ…と自分に言い聞かせはするが、両親が喧嘩する度、私は子供みたいに妄想してしまう。

母と一緒に、祖父の家に逃げてしまおうと。私が連れ出してあげれたら、どんなにいいだろうかと。

そんなこと出来るはずがないし、本気じゃないけど、そういう妄想をして心が躍る自分も、確かに存在するのだ。

 

両親がどうせまた今夜も喧嘩するのだろうと思って、そう思うと帰りたくなくなって、意味もなく遅く帰った日があった。

夕飯を食べる私の隣に父がいて、向かいに母がいた。居心地が悪いからさっさと食べてしまいたかった。

その場で急に、

「知ってるだろうけど、お母さんとは最近よく喧嘩してる。でも嫌い合ってるわけじゃない。

お父さんはこんな性格だから、お母さんには迷惑かけてる。だから、あんたがお母さんを支えてやって」

と、父が小さな子供に話しかけるように優しく私に言った。私に凄く気をつかっているのがわかった。

涙が溢れてきて何にも言えなかったので、ただ頷いた。誤魔化すようにご飯をかきこみながら。どうしてこんなに泣けるのか自分でも全然わからなかった。

身勝手な父の言葉に腹が立ったのか。

初めて真正面から私にそんな話をしてきたことに感動したのか。

どこかで、がっかりしたのか。

 

たぶん本心では、もう離婚することにしたんだ、と言って欲しかったのだ、私は。

 

父が泣いていた。母もこっそり泣いていた。

親が泣く姿を見て、なんか、世界がものすごく不安定になった気がした。たぶん、信じてたものが本当は凄く頼りなくて、グラグラ揺れていることにやっと気づいたんだと思う。

私は、無駄に歳だけとって、大人になんてなれてなかったわけだ。

そしてたぶん私の両親も、私が思っていたほどには強くもなかったし、大人じゃなかったのだ。

不思議のシュラフ

 

毎朝、通学路ですれ違う老夫婦がいる。

2人はいつも手を繋いでジョギングしている。

特にお喋りしているわけでもないけど、穏やかで幸福そうな顔をした2人。

彼らは、真っ直ぐ前を向いて、手を繋いで、2人で歩調を合わせるだけの作業を、毎朝続けている。

 

今朝は少し雨が降っていて、自転車登校の私の気分は最悪だった。家を出てから降り始めたので、レインコートも着ていないし。

いつもの道でいつもの老夫婦とすれ違う。

老夫婦は、1本の傘に2人分の体を入れて、でも不思議と窮屈そうなわけでもなく、いつも通りに寄り添って歩いていた。

こうして隣を歩こうと思える相手がいるというのはどういう気持ちなのかしら、と不思議に思いながらすれ違う。

結婚したいと思ったことは一度もないけど、

あのご夫婦を見てると胸の奥で羨望の気持ちが顔を出す。私はたぶん、浅はかな人間なのだ。

 

で、帰ってきてからなんとなく

シモン・ボリバル・ユースオーケストラのMambo!の演奏動画を見た。

なぜだか定期的にこの動画を見ているが、これが完全に「のだめカンタービレ」の世界なのである。

楽器をくるくる回したり演奏しながら歩き出したりしちゃうのである。そして演奏者は皆、びっくりするほどいきいきしている。

初めて見た日なんて涙が止まらなくて困った。

私が、吹奏楽を途中でやめてしまった人間だからなのか。音楽を好きだという気持ちだけではどうしようもなくて逃げてしまったからなのか。

音楽ってこんなに自由だったのかしら。

こんなに楽しいものだったのかしら。

漠然と、不思議に思ったし、悔しかった。

そしてやっぱり羨ましかった。

そりゃ私は練習が明らかに足りなかったし、音楽はある程度の技量があって初めて楽しめるものだと思っているので、私が楽しめなかったのは当然なのだ。

うーん、でもまた演奏してみたいな。

Mambo!をきくと、そう思うようになった。

ちょっとは前を向けたと思う。ちょっとは。

 

今日はそういう日だった。

日記は書いてて楽しいね。

 

「不思議のシュラフ」は特に関係ない、スピッツの歌詞で、思い出したからタイトルにしただけです

モラトリアムの話

 

いわゆる就活というやつに、私もいよいよ取り掛かっている。

だけど、私はモラトリアムが長けりゃ長いほどいいと思っている人間だ。出来るだけ長く学生でいたい。出来ることなら。

それに、もっとたくさん学びたいことがある。

大学ってどんなとこなんだろう?と思うし、大学生の友人とか見て、私もあんなとこに行って好きなことを勉強したいとか、一丁前に思ってみたりもする。

 

数年前に、大学に行きたいと親に話したらめちゃくちゃ怖い声で「お前はなんのために今の学校に来たんだ」と言われた。

私が通っている学校は、学費がまあまあ安くて、手に職をつけれて、就職したら企業で即戦力っすよ!というところが売りである。故に、就職率が凄く良い。

そんな学校を自分で選んで受験して入学したわけなので、親としては今更「大学行きたい」とか言われたらそりゃキレたくもなるわ。

家がそこまで裕福じゃないこともなんとなくわかってたし、奨学金を貰って今の学校に行けてんだから、贅沢なんか言ってられないこともわかってた。

だけど、私はそんなことを言ってしまった。

だって、言っちゃえば、人生どうにかなると思ってたし。

でも、その時になってやっと、

人生、案外どうにもならんな、と知った。

 

だから去年くらいになって、いよいよ進路を真剣に考えねば、というときになって「どんな会社に就職しようかなあ」と親に言ったら、

今度はなんと「大学に行きたいなら行っていいんだよ」と言われた。

 

正直、無茶苦茶に腹が立った。

気を遣う言葉にしてはあまりに遅くて、

取り繕う言葉にしてはあまりに無理があった。

それなら、「お前を大学には行かせてやれないんだよ」とはっきり言って欲しかった。

「大学に行ってもいいよ」って言うけどさ、本当に私がそうするって言ったらどうするの?どこからそのお金を出すの?「やっぱり無理でした」とか言うんじゃないの?

 

就職するつもりだから大丈夫、と断って。

姉は大学院まで行く予定だから、そっちにお金をかけてほしい、と言っておいた。

 

お金が無いならどうして2人も子供を産んだんだろう。

どうしてこうなることを考えてくれなかったんだろう。

姉を産んだときに、もうやめておけばよかったのに。

 

産んでくれた親に対してこんなこと思うのは失礼だ。

でも、私を産んだことで生じた損失と利益はどちらがどれくらい大きいのだろう、どうしてもそう考えてしまう。

 

「青天の霹靂」を観た時もこんなことを考えてたっけ。

あとはあれだ、「少年は残酷な弓を射る」を読んだ時もそうだった。

 

人生の節々で、いつも同じことを考えている。

私を産まなけりゃよかったのに、と。

 

 

 

就活ですっかり自信をなくしたのか知らないが、近頃はこんなことばっかり考えている。

充分に幸せな人生を歩んでおいて、何をグダグダ言ってるんだ、と私を知ってる人ならきっとみんな思うだろう。

だけどそれは私の思う幸せじゃないのだ。周りからどう見えてるにせよ、私はいま大して幸せじゃない。

でも産まれてしまったからには、あとは生きるしかないんだろう、たぶん。

あわよくば、幸せになろうと思う。

 

新しい生活

 

4月になりました。

暖かくて過ごしやすいし好きなんだけども、春は狂気の季節だと、昔から何故かそう思っている。

人が静かに狂う季節で、何かが静かに変わっていく季節。そういう季節になった。

 

新生活というほど新しくはないけど、確実に3月までとは少し違う生活が始まった。

そうなると、メンタルが激弱な私はすぐにぐらついてしまう。

めんどくさ…お前みたいな人間ほんまめんどいな……と思う。それくらい私はとにかく弱い。

そういうときは自分でどうにかしなければならない。時間が経てばいずれは元気になるが、それを待っていられないくらいヤバいときだってある。

 

手っ取り早い治療は、音楽だと思う。

私の場合は、という話でしかないが。

情緒不安定なときに聞く音楽アルバムというのが、私の中で決まっている。

 

haruka nakamuraの「grace」

Blurの「13」

それでも駄目なら スピッツの「さざなみCD」

 

何も出来なくなっても、これだけは聴ける。

という音楽に出会うと、まあなんとかなるという気がしてくる。

出会いは大切だね。

 

今日はgraceを聞いています。

明日からの私が、強くいられるように。

 

 

晴れた空だ 日曜日

 

天気のいい日曜日に思い浮かべるのは、やっぱりスピッツの「日曜日」だったりする。

 

今日になって急に春が来た。先取りした春は、たぶん明日くらいには終わって、ちょっと肌寒い日がまたしばらくは続くんだろう。

 

暖かいから、天気がいいから、私たち家族も穏やかだった。両親と共に3人で、外で食事をとり、ホームセンターで買い物をした。家に帰って好きなことをして過ごし、みんなでおやつに焼き芋を食べた、

ありふれた幸せを詰め込んだ1日は、晴れた日曜日に 気まぐれに訪れる。

 

私は家族が好きだ。

だけど、この家族はどこか「ちぐはぐ」だ。

正しい家族のコミュニケーションを誰も知らない。これが私たちの在り方なのだと割り切れればいいのだけど、上手くいっていないのは事実で、

どこか不安定なこの家族は、たまにどうしようもなく壊れかけて、バラバラになる。

今がちょうどその時期だった。

 

けど今日は晴れたから、暖かいから、日曜日だから、今日の家族は上手くいった。

毎日こうであってくれとは言わないから、

毎週日曜日がこうであればいいと思う。

毎週日曜日は幸せな家族でありたい。

何の不安もない、みんなが健やかで、冗談を言い合って笑えるような家族でありたい。

 

スピッツのはなし

 

前回も書いたけど、私はスピッツが物凄く好きだ。

「物凄く」ってどれくらいかと言うと、もう半端なく好き。ヤバいほど好き。

 

そもそも音楽というのは嫌いではなかったはず。あんまり昔のことは覚えてない。

でもそれってまあ子供らしく、ジャニーズのアイドルの曲を聞いてかっこいい〜って思ったり、授業で習ったエーデルワイスが好きで風呂場で歌ったり、っていうレベル。

ロックとかよくわからんただの12歳をガツーンとぶっ壊したのがスピッツだった。

 

その頃、学校から帰ったら夕飯の時間まで姉の部屋にあるMD(もう死語かもしれないな?音楽を聴けるちっちゃいディスクです)を片っ端から聴く、というのが趣味だった。MDはとにかくいっぱいあったと思う。いきものがかりとか、YUIとか?

その中に、父のものもあった。

ある日それを聞いた。

スピッツの「さざなみCD」。

 

 

これが凄かった。

1曲目の「僕のギター」から大変なことになっている。どこまでも澄み渡った、それでいてなんて器の大きな音楽だろうと思った。不純なものが含まれていないから綺麗なんじゃなくて、不純なものはそれはそれでいいじゃない、どうにかなるわって全部を赦してくれる、という感じなのである。

ステレオの前に体操座りをし、心がグラグラ揺れる感覚を初めて経験しながら、最後まで聞き通した。涙がドバドバ溢れた。大惨事だった。

 

それからが人生の始まりだったと思う。

スピッツを聞くまでの12年間は何をしてたのかしらってくらい、スピッツの音楽は私に多くの知識と、深い思慮と、新たな感覚をくれた。

それ以降、さらにいろんな音楽に興味を持つことが出来たのもスピッツのおかげ。

そもそもベースってどの音だろう、ってくらい何にもわからなかった私は、リーダーのベースで初めてそれを認知し、めちゃくちゃ動き回る低音に感激して何度も何度も聞き直していたのだ。

 

2016年に発売されたアルバム「醒めない」の1曲目「醒めない」に、こういう歌詞がある。

最初ガーンとなったあのメモリー

今も温められてる

初めてロックに触れて、ガーンとなって、

その記憶が今の自分をも温めてくれる。

「さざなみCD」を聞いたあの日の記憶が。

 

「醒めない」を買った日、12歳のあの日と同じあのステレオでアルバムを聞いた。

今の自分はとんでもなく幸せだと思った。

スピッツはこれからも私を温め続ける、きっと。